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2014年8月23日 (土)

当たり前って何だろう?

目が不自由な方。
そう、目にある特性をもった方です。

以前、知人と口論になったことがあります。
そういった方を示す言葉として
「目が見えない人」って言葉を使っていたから。

自分「目が見えないってどういうこと?」
知人「はあ?何言ってるの?」
自分「いや、見えないってどういう状態なの?」
知人「???」
自分「見えにくいにも
遠近のメガネが必要だったり、
視力そのものが落ちている場合だったり、
いろんな場合があるので、
そんな人を目が見えない人って
ひとくくりにするのはどうかなってことだよ。」

目が不自由・・・
形にとらわれない・・・

この動画をどうぞ・・・

全盲の少年は正しいギターの持ち方を見たことがない。彼が奏でる音とは・・・

全盲というタイトルを知らなくても
この動画に出てくる少年をぱっと見て
目が不自由なんだと言うことがわかります。

彼はブルースを弾き語っていきます。

素晴らしい!

彼の目は光を感じないのかもしれません。
でも、音の光を感じます。
聴いている自分も感じます。

スペシャル・・・
特別支援・・・
実は本当に「スペシャルなものやことを」
彼らはもっています。

しかし、時として、
私たちのよく使う
「曖昧な言葉」が
彼らを混乱させてしまう場合もあります。

例えば・・・
良く聞く言葉・・・当たり前。
でも、そもそも当たり前って何だろう。

まだ、他にも・・・
この時間、自由にしていいよ。どうぞ!

「自由にして」って何だろう?

他にも・・・

工夫してみよう!

「工夫」って何だろう?

こんなこともあります。

縄跳びをやってみよう!がんばれ!

えっ?跳んでみるって何?
何回跳んだら良いの?

本当は曖昧なのに
相手が分かっているつもりだと
やったり、言ったりしていることが
実は、
とっても自分中心に考えていることが
見えてきませんか?

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当たり前って何だろう?を参照しているブログ:

コメント

それはその通りですが、物事の当り前、や常識、なんてのは先人たちが創り上げた合理性もあると思います。

常識に縛られないのは大事ですが人々に常識とされるまでにはそれなりの歴史があるはずで、無闇にそれを崩すのが素晴らしいとは思いませんね。

この少年の場合合理的なギターの持ち方を学ぶ機会を失ってしまったとも考えられますね。
その持ち方でなければもっと素敵な音楽を奏でていたかもしれないと私は思います。

友人や親戚にも障害者がいますので障害を持つ方を可哀想だとかは思いませんが最近の世間の無理矢理にでも障害が有るという事実から目を逸らす風潮は嫌いですね。
それこそ障害を持つ方々の存在を無視しているようなものです。

身内に障害者がいてその人が「障害があるのは嫌だし不便だけど人それぞれある短所だと思っている」という話を聞いてからこう考えるようになりました。
障害を美徳にされるのも良く思っている障害者ばかりではないと知っておいていただきたかったのです。

突然のコメント、駄文失礼しました。

はじめまして。
この話題にコメントをくださって
ありがとうございます。

おっしゃるとおり、
特別支援が必要な方に
過剰に美化する気もありません。
過度に手をさしのべるのも失礼です。

なかなかこのブログだけでは伝わらず、
混乱させてしまってすみません。

ちなみにドブロギターってご存知ですか?
アメリカでカントリーやブルースを弾くギターで
足の上に横に置く弾き方があります。
この少年のように。
この少年にギターを教えた方が
そのスタイルを教えられたのだと思っています。
自分もギターやピアノなどなどの楽器が好きです。
へたっぴなんですけど
ギターの弾き方もそうですが、
演奏の方法には決まりはないと思っています。
この子、やはり、素晴らしい演奏だと思いますよ。

さて、
私も多くのそういった方と接しています。
長年の友達もいます。
手帳をもっている方も、そうではない方も。
みんな、自分なりの工夫をして生きています。
その人にとっての合理的な生き方だと思います。

少数派に合わせていくことの大切さがあると思います。
多様性を認める社会を模索している自分です。

皆さんと共にそんな社会を作っていきたいですね。
今後ともよろしくお願いします。

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